有馬温泉弾丸ツアー

昨日(24日)日帰りで有馬温泉に行ってきた。理由は一つ、ただ温泉街を歩きたい・・・。

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旅の始まりは、紀勢線キハ25。何度か乗ってるがなかなか乗り心地がよい。しかし多気以南ではまだ未体験。いずれ気持ちも許し乗るときが近いかもしれない。うちの娘もこの都会派のキハのほうが良いそうだ。キハ11や40系は・・・・・・だそうだ。

2016.12.24 322D 亀山

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その後、大和路快速と丹波路快速を乗り継ぎ三田着。旧型客車のころの福知山線とは大違いだった。
神戸電鉄は20ん年ぶり。複線あり単線あり旧カーブに勾配。しかしよく整備された軌道が乗り心地を良くしてくれてる。
平均70km/hで走るこの電車前面展望してると意外に面白い!!
以前は新大阪日帰りの合間に同僚たちと北神急行~神戸電鉄~三木鉄道~加古川線の乗り鉄をした。そのとき元亀山のキハ40に再会したのを思い出した。

2016.12.24 神戸電鉄 三田

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有馬温泉には4度目。過去3回はすべて慰安旅行。最初は1974年、父親の職場の慰安旅行で家族全員が招待された。
あとは「天ぷら屋」と今の職場である。順に有馬グランドホテル、有馬御苑、兵衛向陽閣。この3つの旅館を見渡せる場所があった。

2016.12.24 有馬温泉

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今回の目的はここを歩くこと。地形なりの曲がり道に勾配、なかなか雰囲気が良い。城崎温泉や伊香保温泉、それに鳴子などいろいろあるがどこも甲乙つけがたい。

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どこもそうだがメインストリートがあれば裏通りもある。普段は地元の方々が生活してる道だが、かえってそっちのほうが味があるところもある。メインも好きだが意外に「裏」が面白い!!

帰りは尼崎から新快速で草津まで。多気には最終1本前のキハで帰ってきた。







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男はつらいよ 吉野から和歌浦へ・・・

映画では和歌浦から吉野へ向かうのだが、自己の行程から逆になりました。
阪和線の113系や近鉄特急、さらにはロケは三重県に及ぶ「寅次郎物語」、これも好きな1本である。

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まずは吉野では有名な和菓子屋さん。さくら羊羹を試食後お土産に。

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金峯山寺本堂、国宝ですね。ここで寅さんがロケってます。

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やっぱりこういうのを見るとこんな光線で撮りたくなります。

金峯山寺境内

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寅さんに登場した旅館はすでにありません。当時の撮影も廃業後の建物で行われたそうです。
和歌浦の「廃墟」に関しては皆さんご存知だと思いますのでここでは割愛させていただきます。
なにも残ってないので行くべきか、別にいいか・・・、と曖昧な気持ちでしたがやはり行くべきと思いまして、やっとのことお隣り和歌山県内のロケ地に向かいました。ここも新宮や勝浦と同じ和歌山県、でも遠いです・・・ぅ。

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ここ雑賀崎、なんだか鉄骨コンクリートの建物が多いのが目に留まりました。
なんか別の呼び方でもあるのかな?

すべて 2016.12.11

特急「日本海」

1992年夏、東北太平洋側に出かけた。青森までたどり着いたがまっすく東京に戻るのは面白くない。
それならばと「白鳥」で戻ろうと考えた。しかし旧盆の期間なので指定券など取れるわけがない・・・。
というより「通しで」、ってことになる。新潟、富山で区切って一部グリーン車を含めれば大阪までの席は確保できた。
でも青森早朝4時50分の発車となると面倒である。泊まりも必要になる。そうなると一気に面倒気性があらわれた。
せっかく確保した「3種の指定券」を「日本海4号」のB寝台券に変更してしまった。こっちはあっけなく変更できた。

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青森駅では「いかいっぱい弁当」とビールとかを買い込み乗車。甘辛く煮た子イカがご飯の上に6はいくらいのっかった弁当である。列車で食べるのにはちょうどよかった。日が変わり敦賀駅でパチリ。

1992.8.12 敦賀

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敦賀では「雷鳥」に道を譲る。急ぎなら乗り換えればいいがこちらはとにかく今日中に東京に戻ればいい。いや正確にいうと明日の朝の出勤に間に合えば・・・。

1992.8.12 敦賀

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京都で知ることになる「モトとレール」。青森から乗車の一般客には関係ないので、まったく案内などない。当然かな。函館から連結されていたようだ。

1992.8.12 京都

湖西線を走っていたら小浜線に行きたくなった。ということで京都下車。

吉野口

1992年秋、自分と会社の後輩女性3人で東京発「瀬戸」で四国へ出かけた。
帰り道、3人は大阪でぶらぶらしたいので男の自分は邪魔者となった。その時間を利用して吉野に向かった。吉野へはこのときが2回目である。そのあと、新大阪から東京までは100系X編成の食堂車で大半の時間をすごした。
往きがブルトレ、復路が新幹線食堂車なんていう旅はもうできない。

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行きは吉野口までJRで、帰路は近鉄で阿部野橋までか・・・記憶がない。
そのとき行きの乗り換え途中でとったのが↑

1992.10.2 和歌山線 吉野口

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たぶん帰りの近鉄特急からか・・・?それとも和歌山線電車からか。
和歌山線は1983年の3月に和歌山発王寺ゆきの50系列車で乗り通した。これは覚えている。

元禄15年12月14日

12月14日といえば赤穂浪士の討ち入りの日だ。中学3年のときの担任であり社会の先生は歴史の時間やホームルームの時間を使い「赤穂浪士」の話をしてくれた。聞く生徒よりも話す先生のほうが本気ではまり込んでいた。いや、その主人公になってきっていたようである。
そのときの話を真剣に聞いていた人はいるのかな?自分は結構、聞ききっていた。
就職したのが東京都港区高輪3丁目。なんともより駅は都営地下鉄の「泉岳寺」駅であった。12月14日になると「義士祭」が行われたくさんの人が訪れていた。今もそうであろう。

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この場所は「千種川」。まったくの山間地帯で海などは見えない。ここが沿岸の播州赤穂とは新幹線時代にはほとんど知らなかったかった。もっと瀬戸内海よりだと思っていた。この先の片上鉄道とのクロスの場所なんかもほんの一瞬で通過するそっちが気になりここはただ見過ごす場所だった。あとで知ることになるがここは兵庫県赤穂市だ。反対川の山には古びたでかい看板があった。「赤穂」と書かれていた。
まっ、あんまり関係ないですが、今日はこういう日というのがこの時から頭に入ってました。
この記事を書いてる最中にもう一つ思い出したのが、両親の結婚記念日でもある。

1999.1 山陽新幹線 姫路~相生

スハニ64 2143

1978年の配置表だと東北地方に6両存在したスハニ64。スハニ61からオハニ61に改造されさらに電暖化でこの形式になった。
オハニ61やオハニ36は有名であるがこの64は珍車?全部で何両改造されたのか。1982年の時点で2両になり2両とも郡山配置だった。

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上野発の仙台行きの客レから乗り継いだ磐越東線の郡山ゆきに連結されてた。この日は上野から常磐線~磐越東~西線経由で新潟まですべて旧型客車だった。カマもEF80~DE10~ED77~DD51だった。。。

1982.3

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これはおまけ。。。DF50の重連が見える。

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もう一丁!!

京都花灯路

もう10年も前に始まってる「京都花灯路」。天ぷら屋時代では12月に出かけるなんて絶対無理でしたが転職後はそんな規制もとけました。

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四条大宮から乗ってきた「嵐電」、終着の嵐山駅では京友禅を使ったポールが林立するキモノフォレストが点灯されよいムードで迎えてくれました。

2016.12.11 嵐山電鉄 嵐山駅

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野々宮神社から続く竹林の小径では幻想的な光が竹林を演出。

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また普通にライトアップされた竹林、大勢の見物客が・・・。

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これは一般的な場所。たくさんの人が思い思いに撮影されてました・・・。これはスマホ撮影です。

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最後は阪急嵐山駅。ここではなんのイベントか知りませんがマニアがいっぱい!! これは阪急のイベント改造車ですかね。
編成のなかにはいろいろな座席がありました。たまたま乗った車両から見えたのがこれ。一昔前の「やまぐち」号の欧風車両みたいでした。

2016.12.11 阪急 嵐山 京とれいん





三条大橋~

昨日は車で桜井まで、そこから近鉄~京都市営地下鉄で三条まで。

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2016.12.10 晩秋の感じがまだ残っていた三条大橋。

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三条からは先斗町を歩きます。途中で和服の○○子さんとすれ違い。雰囲気はあるのでカメラを向けたいところですが、さすがに遠慮しました。

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灯りが入ってますが、ここはやはり日が暮れてからのほうが良いですね。20ん年前に京都デートで入った店をこの中に入れました。

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先斗町から錦小路を抜け四条大宮まで「京都うぉっちんぐ」・・・。

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そして「江ノ電」の姉妹提携の「嵐電」。今回が初乗りとなりました。

北海道のローカル列車

1980年代前半、国鉄時代の北海道のローカル線の主役はキハ22だった。

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稚内発天北線経由の音威子府ゆきの単行列車に乗った。
最初の予定は急行「利尻」で着いてオホーツク沿岸のローカル乗り継ぎ予定だったが、到着前に利尻島と礼文島の連絡船の放送があり衝動的に礼文島に渡った。なぜなら「熱中時代」北野先生の出身地が「礼文島」だったから・・・。

だから天北線は夕方の乗車になった。間もなく落ちる日に当たったキハ22が綺麗だった。

1981.3 天北線 鬼士別

終着駅に行ってきました

今日、ついに留萌本線の末端が営業を終了した。詳しいことは書かなくてもご存知の方は多いでしょう。

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ここに行ってもう20年以上がたった。当時まだ北海道にあったローカル線に乗るのが目的だった。
出発は上野発の「八甲田」号。途中たくさんの寄り道をしながら深名線や上砂川支線、それに札沼線に行ったのが思い出される。
このときのキハも往復ともガラガラだったのがすべての線に共通する記憶だ。

1993.7.16 留萌本線 増毛
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DF50 34

Author:DF50 34
ただいま準備中・・・いつまでも準備中。

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